ガラスの靴を振りかざして6_緑 (ページ40)

今日:218 hit、昨日:175 hit、合計:164,390 hit

40 ページ40

＊

慌ただしく上着やら鞄やらを胸に抱えて立ち上がり、早歩きで出口へ向かう背中を見送れば、ひっそりと静まり返る廊下。
ときどき目の前の診察室の扉の向こう側から物音と、それからわずかに人の気配を感じる。

「疲れた…」

ぽろりと溢れた言葉が、誰もいない廊下に転がって消えた。

ここ二時間ほどの騒ぎが嘘のようだ。
私は常に寝かされていた状態だったものの、自分の意思とは関係なく目まぐるしく状況が変わっていくことに翻弄され、意識は終始とっ散らかっていた気がする。

やっと、落ち着けた。

ベンチの後ろの壁に上半身を預けながら、ぼんやりと、滑りが良さそうな病院特有のリノリウムの床を眺めてみる。

等間隔に配置された天井の蛍光灯。
清潔感を感じさせるクリーム色の壁。
からだに染みつきそうな消毒液の匂い。

ここが病院だということも、救急車で運ばれたことも、それからその前の出来事も…何一つとして現実味はない。
でも右腕に巻かれた真っ白な包帯や、転んでボロボロになった服や、擦れて漫画のように大きいガーゼを当てられた頬は確かにそこにあって…
いやもう、わけわからん。

診断書を書くのにどのくらい時間が掛かるのだろうか。
そんなもの、もらったこともないので想像もつかない。
だからといって「まだですか？」と聞くのは違う気がするし。

少し呆けたのちに手持ち無沙汰を感じた私は、ADさんが綺麗にしてくれたリュックから社用ケータイを取り出した。
欠けたり割れたり、壊れていないことに安堵しつつ、画面に触れてみると、

「うわぉ…」

思わず声が出た。

そこには目を覆いたくなるような、おびただしい量の着信とメッセージの通知が来ていた。

忘れかけていた罪悪感を引っ張り出され、脱力していた口元が引き攣る。
見るの嫌だな、なんて自分勝手な感想を抱きながらも、諦めてパスコードを解除してトークアプリを開くと、見たこともない量に膨れ上がっている未読数の吹き出しに目眩がした。

マジでごめんなさい、と心の中で謝りながら順番に確認していく。

一番上に表示されていた田ノ上さんのチャットには、吉野さんから私の状態を聞いたのか、ひとまず命に別状がないことに安堵しする内容と一緒に、向こうの状況が逐一送られてきていた。
最新の内容では駆けつけた警察に呼ばれ、現場で話を聞かれているらしい。

警察、という単語に息が詰まりそうになる。
顔がこわばり、ケータイを持つ手に思わず力が入った。